相手を「思いやり過ぎる」のも考え物
「相手の立場になって考える」「思いやりを持って接する」
そう言った事は良好な人間関係、コミュニケーションを良好にする事には必要なのだろうけど、何事も程々の加減が必要だな、としみじみ感じます。
今日、ある専門家に「貴女をあんまり嫌う人っていないんじゃないかなぁ。明るいし、しっかり考えて話しているし」とのありがたい評価をいただいたのだが、本人は全くそんな事思わない訳です。
もう、「相手のため」と思って何かをしても「逆に不愉快にならないか」「嫌われるんじゃないか」と後々までマイナスイメージが後を引いて仕方ない。
そうすると、「相手の立場になり」「思いやりを持って接する」という考え方自体、単なる自己満意外の何者でもないよなぁ・・・とまたまた脳内ループ。
だって、本当にそれの善し悪しなんて、結局本人にしかわからない訳だし。
考えれば考えるほど、最善の選択肢が「何もしない」になっていく不思議(苦笑)。
これって、いわゆる「自己評価の低い」人間のテンプレなんですってね。
(良い意味での)自己愛を持てない、自分が価値ある人間だとは思えない、自分がいなくても世界は回るし、どうせ消えたところで覚えていてくれるのはせいぜい数年程度だ。
あ、もう鬱になりそうなのでそろそろその思考の向きは止めますが(笑)
気遣いの出来る人間ほど、胸の内はそんな事を考えて自己評価下げまくっているのかもしれないと思います。
まぁ、そんな思考の方向なのも、随分独学で勉強し、持論と推論で結論は出ているんですが・・・人はなかなかそうパアァアアっとプラス思考にはなれません。
憧れ。ポジティブシンキング。
マジでこれを買おうかどうしようか、迷っています・・・。
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